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我々は普段から演技をしていますね。
恋人の前での自分、友人と一緒の時の自分、仕事をしている最中の自分。
それぞれちょっとずつ違うはずです。
そして年輪を重ねれば重ねるほど、色んな人と知り合う機会が増えます。
その度に、その人向けの演技をし始めます。
相手によって自分の顔が変わるのです。キャラクターが変わるのです。
これをもっともらしい言葉で言うなれば、「社会性」と相成りましょう。
実はこの「社会性」という奴が、とんでもない曲者なのです。
「二面性のある人間は嫌われるぞ、素直であれ」
なんて綺麗事を並べ立てるバカな大人が居ますね。
彼らには、じゃあお前らどうなんだよ、と、言ってやりたい。
散々他人の陰口叩いて、いざ当人の前に出れば善人面。
これって立派な二面性じゃないの?
「それが社会というものなんだよ。」
バカにすんな。
なら最初からそういう風に教育しなさいよ矛盾してるじゃないの。
まあそこまで露骨ではなくとも、我々は知人の数だけ自分を演じ分けています。
単純なところで言えば、愛想と無愛想。
愛想良く振る舞うのも、たとえ本心からだとしても、
そうしようとしてしまっている時点で演技だし、
無愛想になるのも、相手にしたくないな、
という感情から発信されている時点で演技です。
その程度の差が、演じ分けです。
誰しもが無意識にこなしている行為に過ぎません。
それが淀みなく出来ることこそが「社会性」だと、そういうわけなんでしょうきっと。
それが出来ないと社会生活に支障が出ますよ、と。
しかしこう考えてみると、
日本の現代社会における対人コミュニケーションとは実は、
壮大な演劇であると言えなくもないのではないか。
そんな風に思えてきます。大いなる一人芝居。
知人が100人居たら、100種類の役を演じ分けている。
しかも、誰しもが。これは恐ろしいことですよ。
だってさ、ほら、どれが本来の自分なのか。
そもそも本来の自分なんてあったのだろうか。
他人とのコミュニケーション無しには生きられないこの世界に於いて、
自分なんぞ、他人を媒介にしなければ見い出せないのではなかろうか。
自分は「自分」でしかないなどと言う前に、その「自分」の存在は、
他人によって承認されること無しには成立し得ないものなのではないだろうか。
「自分」とは「他人」の中にしか存在しない。し得ない。という恐怖。
とにかくこのようにして、それぞれ違う顔を持つようになるわけですね。
そして当然、その唯一の素だったはずの、
実家に対しても。
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相変わらず長いですね、Introが。
今回は実家に帰る話。
とは言うものの、この日本には、実家というモノを持たない人もたくさん居ます。
理由はそれぞれありましょう。
まあそれは置いておくとして。
この「実家」という言葉は日常的であるようでいて、
ある種の人間にとってはとてもとても重く響いてくる言葉であります。
演劇なんていうしょっぱいメディアの中の、
こんなちっぽけな劇団のちゃっちいHPをご覧になるような方なら、
説明は不要でしょう。
実家。
に、帰るということ。
今回も劇場は下北沢。
下北沢にたむろする若者の、半数以上は上京者でしょう。
何より、東京の人口の半分以上は上京者、それが現実ですから。
大きな夢を抱いて、限りない希望を抱いて、何となく明るい未来を望んで。
彼らは、実家というものをどう捉えているのでしょうか。
どういうものだと考えているのでしょうか。
何も考えていないのでしょうか。
自分の居ない場所では、自分の居ない時間が流れているのです。
それは確実に、脈々と。
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五十嵐祭旅 山内翔 棚橋建太
小野哲史(D.O.) 爺隠才蔵 松尾美香 須貝英
佐々木なふみ(東京ネジ) 村上直子(ホチキス)
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脚本・演出・前説:古川貴義
舞台美術:稲田美智子
照明:工藤雅弘(Fantasista?ish)
音響:岡田 悠(Sound Cube)
小道具:栗山佳代子
メイク/衣裳:今村智美
舞台監督:渡辺陽一
宣伝美術:クロダマリコ
演出助手:五十嵐幸司
制作:安田有希子(axis) |
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| 下北沢OFFOFFシアター |
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2006.10/13(金) 〜 2006.10/19(木)
10ステージ |
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| 前売:2,000円 / 当日:2,500円 |
16日(月)の14:00の回は、平日昼公演割引
前売:1,700円 / 当日2,200円 |
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